Muscle pain by skiing was waiting me so shall stay home and relax.
Friend invited me to Xmas party by saying "you may like it." without saying what "it" means.
It was Xmas Missa at Harajuku but more likely musical and club event.
Event itself and internationalized environment are so fun and interesting.
However, I can not fully enjoyed it because it made me uncomfortableness in some sense.
I guess I will need to take a time to doubt and think how I think of it.
ほんわりと目が覚めた。
そして、足の筋肉痛、特に膝から下だ。
だから、家で大人しくすることにした。
積読してあった本を読んで過ごしていたら、、、
"ピンと来たものがあるから来ない?'とお誘いが。
何かと思って行ってみると、クリスマス・ミサだった。
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ジーザスライフハウス インターナショナル 教会 東京
こういうイベントは久しぶり、、、というか、初めてかも。
静かな時間かと思ったら、クラブ・イベントのような盛り上がり。
どうやらオーストラリア系の、新しい流派のようだ。
このノリはまさにミュージカルを見ているようで、楽しい時間だ。
その後、カフェ・タイムとなった。国際色豊かな親切な人達に囲まれる。
キリスト教の思想や習慣は嫌いではないし、
むしろ好意的に捉えているつもりだが、
宗教としての根本が、好きになれない私がいる。
何よりも、なぜ、いつの間にか聖書を渡されているのか?
今回のイベントを通じて思ったことは、
こういうポジティブな面は一般的に好まれるし、
同じような考え方、基準を持つ集団は安心感がある。
それは素晴らしいことだと思う。
逆に、そういう基準を持たない人が何を指針にしているのか、
行動原理が見えないことが、他者を不安にさせることも分かった。
「◯◯を信じよ」と言うが、偉い人が言ったら、それが全てか?
そうではない。その論法は便利な論法だが、思考停止になる論法だ。
「疑え。そして考えろ。」と言う方が、より自然だと思う。
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無思想の発見 (ちくま新書) | D.I.'s Memorandum
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般若心経は間違い? | D.I.'s Memorandum
祈って、信じたからといって、スキーが上手くなるわけではない。
自分の滑りを冷静に観察し、疑い、より良くなる方法を考えること、
そして、それを実践するように努力することが必要なようにだ。
私も、救いを求める気持ちはあるし、頼りたい気持ちはある。
だから、助けて!と叫ぶこともあるが、それは信仰ではない。
存在に対する祈りであり、自分の感情の吐露にしか過ぎない(と思っている)。
熱心に信じて、周りを助けあう集団に羨ましさを覚えると同時に、
個の追求に焦点を当てていることに後味の悪さを感じさせることが、
多数決における少数派のような居心地の悪さなのか、
私自身の枠(限界)なのか、戸惑いを隠せなかった。
正直、まだ私自身の気持ちを上手く表現する方法がなく、
表現しきれているとも思えていない。
だが、これは日記、今分かる範囲の思いを残しておきたい。