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2016.01.01 Friday
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ゼロになることは、みんなが思っているほど怖いものではない。
失敗して失うものなんて、たかがしれている。なによりも危険なのは、失うことを恐れるあまり、一歩も前に踏み出せなくなることだ。(P.30)
しかし、理詰めの言葉だけでは納得してもらえないし、あらぬ誤解を産んでしまう。そればかりか、ときには誰かを傷つけることだってある。(P.32)
しかし僕は、あらゆる人の一生とは、こうした小さな選択の積み重ねによって決まってくるのだと思っている。... なぜなら、チャンスだけはだれにでも平等に流れてくるものだからだ。... 目の前に流れてきたチャンスに躊躇なく飛びつくことができるか。... チャンスを見極める目なんて、必要ないのだ。... すべては「ノリのよさ」からはじまるのだ。(P.99)
多くのビジネスマンは、自らの「労働」をお金に換えているのではなく、そこに費やす「時間」をお金に換えているのだ。... 「お金(給料)とは”もらうもの”ではなく、”稼ぐもの”である」というものだ。... そして積極的に稼いでいくためには、自分は「時間」以外のなにを提供できるのか、もっと真剣に考えなければならない。... 人生が豊かになっていかない根本原因は、なによりも「時間」だ。(P.120)
やりがいとは「見つける」ものではなく、自らの手で「つくる」ものだ。(P.123)
人は「仕事が好きだから、営業に没頭する」のではない。
順番は逆で、「仕事に没頭したから、仕事が好きになる」のだ。(P.128)
「できっこない」という心のフタさえ外してしまえば、「やりたいこと」なんて湯水のようにあふれ出てくるのだ。(P.133)
現状維持などありえない。僕は変わり、変わらざるをえない。(P.184)
考えてみればおかしなものだ。
堀の中に閉じ込められ、自由を奪われた僕が、堀の外で自由を謳歌しているはずの一般読者から、仕事や人生の相談を受けていたのだから。
そして思う。
「みんな堀の中にいるわけでもないのに、どうしてそんな不自由を選ぶんだ?」
刑務所生活で得た気づき、それは「自由とは、心の問題なのだ」ということである。(P.195)
人は考えることをやめたとき、後ろ手を回され鍵をかけられる。そう、思考が硬直化したオヤジの完成だ。...
僕はオヤジになりたくない。
年令を重ねることが怖いのではなく、思考停止になること、そして自由を奪われることが嫌なのだ。だから僕は考えることをやめないし、働くことをやめない。立ち止まって楽を選んだ瞬間、僕は「堀江貴文」ではなくなってしまうだろう。(P.196)
仕事もお金も喜びも、それを独り占めしたところで心は満たされない。みんなとシェアするからこそ、ほんとうの幸せを実感できるのだ。(P.223)
「他者を信じること」とは、「裏切られるリスク」を引き受けることでもある。... 信じるか信じないかの二者択一なら信じたほうが楽しいし、前向きに生きていける。周囲を疑いながら生きていくのは、相当なストレスだろう。... 人の気持ちなんて、究極的にはわからないものなのだ。... そしてわからないからこそ、僕は信じる。(P.228)