スポンサーサイト
2016.01.01 Friday
一定期間更新がないため広告を表示しています
宗教を考える上で、意外に大事なのは、深い信仰ではなく、浅い文化的習慣だ、というのが筆者の意見である。(P.15)
(宗教は)なにせ数が多い。これらを頭にいれるのは酒の銘柄を覚えるよりも難しいし、宗派同士の違いを理解するのは、携帯電話のオプションサービスの違いを理解するよりも面倒だ。宗教学者だって、その全体像を把握しているわけではない。(P.16)
人間というのはいつも集団で夢を観ているような存在だなと思う。(P.73)
神はあるかとか、悟りとは何かというのは、宗教の世界においては、ごく部分的な話題でしかない。ほとんどの人にとっては、宗教とは生活習慣の一種なのである。戒律は生活習慣をスリムにするための有効なメニューなのだといえるかもしれない。(P.95)
晩年の武見太郎が覚えていた、秦佐八郎の言葉は次のようなものであった。おれの言うことは5年経ったら古くなると思え。おれが作ったサルバルサンがまだ使われているのは、あとの人間が不勉強だからだ。(P.238)